卒業アルバム

ビックリするぐらいの日々成長を遂げる息子を見て、僕に似ている、私に似ているなんて話。3日に一回はしている気がします。

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私の母が私の赤ん坊から小学生ぐらいまでの写真を引っ張りだしてきて、背表紙が風化したアルバムを覗き込んでいました。

小さい頃のあんたにそっくり!!と息子と孫を見比べている。

覚える?この先生。この場所。この人。。。。

いかんせん幼稚園もあがらない頃の記憶なんてほぼ皆無な私。

母の若い頃の写真。

軽のワンボックスに三兄弟を詰め込んで海まで行く父。

私を含む親戚一同の子供が並んで、何かを発表している写真。

皆笑顔だ。

写真は沢山撮っておいた方がいいなぁ。思い出って形も残さないとねって。

一緒に小学校のアルバムもあったので、ホコリを払ってページをめくると、無邪気に笑う同級生たち。サッカーやって、ジャングルジム登って、半ズボンで走くりまわっていた写真。ふふふ。懐かしいなぁ。○○君だ!やせてるなぁー。○○先生怖かったなぁ。○○ちゃん、キュン。うわぁ、○○、バカな顔してんなぁ。なんて心温まる思い出に時間を忘れてページをめくっていたのです。

ふと1人の子供に目がいく。無表情でカメラ目線。

? あ。この子。名前なんだっけ?

あぁ。。こんな名前だったなぁ。

と、下の名前欄を見て思い出す。

キリリとミゾオチが痛むのを感じる。

あ。。この子。いじめられてた。僕も。。いじめていた。。。

今見ればなんの欠点も無い、むしろ私なんかより頭もよく、運動もできたかわいらしい子供だ。

ただ、他愛もないキッカケや、誰かが言った適当な一言でイジメは始まるときがある。

自分や、友達、好きだった子の姿ばかり見てニコニコして、ホンワカしていた気持がだんだん冷たくなっていくのを感じた。

背中にいきなり冷水垂らされた感覚。

ページを見返す。

ぜんぜん笑った写真が無い。明らかに写真の枚数も少ない。
最後の全体写真でうっすら笑っているだけ。

この子にとってこのアルバムはどんな存在なんだろう。

よく見ると、笑ってない子はその子だけではないのに気付く。

思い出が急に重たい足かせになって、底なし沼に引きずり込まれるような感覚。

24年前のこの証拠。笑顔の裏に、大人には理解できない子供の社会で右往左往している僕。決して毎日毎日が笑顔で楽しく活発な日々では無かったこと。
笑顔の裏側には、利己、欲望、優劣がしっかり根っこを伸ばしていたことを思い出す。
大人の世界と同じである。むしろ逃げ出すことが難しい分、大人の世界より過酷かもしれない。

いじめが無くなれば最高だ。いじめを肯定するつもりはないが、無くすこことはできるのだろうか。イジメの定義もあるけれど、読んでみると当たり前だがサジ加減が曖昧で抽象的。
そりゃそうだ。線引きなんてできない。それでもしなくちゃいけないのもわかる。

誰かが言っていた。

「逃げることは決して悪い事じゃない。」

イジメを無くす努力は大切、イジメは悪い事、イジメは格好悪いことだと教育するのも大切。それよりも「逃げる」ことは、かっこわるいことばかりじゃないということを教えた方がいいと思う。大人になってもそれは言える事だし。

僕もそうだった、子供は大人が思っている以上に意地汚く、陰湿で、ある意味純粋。守るのは大切だけれど、美化しすぎもどうかと。自分の子供の頃をよーく思い出して下さい。僕は最低のガキでした。

って、アルバムを見て凹んでいる三台目でした。