昭和21年創業 浜松市中区千歳町 1日6組限定、座敷個室 / 雉料理、鳥の味噌すきやき専門店「雉、鳥すき 鳥浜」


「静岡のむかし話」(静岡県むかし話研究会編より(発行 株式会社日本標準))

にょうひらめ

 ずいぶん昔のことです。天竜川の中流にある山を登りつめたところに、「じょうのこし」というところがありました。そこに、おじいさんが、山小屋を作り、一人で山仕事をしていたそうです。
 秋もすっかり深まりましたから、雪のふらないうちに、冬の間に使うたきぎを集めて、ふもとの村まで運ばなければなりません。おじいさんは、朝まだ薄暗いうちから、夕方とっぷり日が暮れるまで、毎日せっせとたきぎを集めておりました。
 ヒュウヒュウと、冬のくることを告げる北風が吹きはじめたある夜のことです。
 囲炉裡には、新しいたきぎがくべられ、ちろちろと燃える炎が、部屋を明るく照らしています。粗末な山小屋とはいえ、今食べたばかりの雑炊のほどよい満腹感と、囲炉裡の暖かさで、おじいさんは、つい、うとうとと居眠りをはじめました。
 どれくらいたったころでしょうか。トントン、トントンと、表の戸を叩く物音で、目を覚ましたおじいさんでしたが、こんな夜更けに客でもあるまい、キツネかタヌキのいたずらだろうと、横になりかけたとき、
「ここを、お開けくださいまし。」
という声がするではありませんか。
 おじいさんが、そっと戸を開けてやると、そこには、美しい娘が一人立っていたのです。
「道に迷っております。どうぞ火に当たらせてくださいませ。」
 娘は、寒さに振るえてやっとこれだけ言うと、その場にうずくまってしまいました。
 こんな夜更けに山の中を娘一人でと、おじいさんの頭の中を一瞬気味悪さが走り抜けましたが、娘があまりにも弱っているので、
「そりゃあ、悪かったきねぇ。さあ、いいであがんなさい。」
と、家の中へ招き入れて、炉端の席をすすめました。
「残りもんだけえが、雑炊たべておくんない。」
と、囲炉裡で温めた雑炊を食べさせてやりました。
「ごちそうさまでした。おかげで体もすっかり温まりました。お礼に、珍しいものをお見せしとうございます。」
 娘はヒョウタンを取り出すと、胸の前でひと振りしました。すると中から、豆つぶ程のの雑兵(位の低い兵隊)やら大将やらが、ゾロゾロ出てくるではありませんか。
「今から、関ヶ原の戦いの様子をお見せいたしましょう。」
 娘は兵隊を炉端に並べると、歌うように説明をはじめまいした。
「慶長五年九月十五日、石田光成を大将とする西軍八万は、岐阜城を攻め落として近江に進もうとする徳川家康を大将とする東軍十万を、近江、伊勢に通ずる要地、関ヶ原で迎え撃ったそうな。」
 娘がこう言うと、並べられた兵隊たちは、東軍と西軍に別れて、戦いを始めたのです。兵隊たちは、娘の言うがままに操られて動くのでした。
 おじいさんは、時が経つのも忘れて、一生懸命見入ってしまいました。
 さて、石田光成が捕らえられ、東軍の大勝利がわかると、兵隊たちはまた元のヒョウタンの中へ、ぞろりぞろりと戻ってしまい、娘の説明もそこで終わりました。
「こりゃあ、不思議な物を見せてもらった。ところで娘さん。あんたはいったいどなたさまだね。」
「わたしは、にょうひらめと申す者でございます。今夜のことは、誰にも話してはなりませんぞ。」
 やがて、娘は、何度もお礼の言葉を述べると、すっと立ち上がり、山小屋の外へ出ていってしまいました。
 おじいさんは、夢を見たかとほっぺたをたたいてみましたが、夢ではない様子です。不思議な気持ちが去ると、今度は、恐さが全身を包み、このような山小屋にとても一人でいられない思いで、まんじりともしない一夜を明かしました。
 東の空がうっすらと明るくなりかけるのを待って、おじいさんは、すっとんで山を下りました。家に帰ったものの、どうもそわそわ落ち着きません。不思議に思った家の人たちが、どうしたのかとたずねても、おじいさんは、ただ首を振って、
「いや、なんでもない。」
と言うばかり。
 昨夜のことが、あまりにも不思議だったので、おじいさんは、すっかり話してしまいたいやら、にょうひらめとの約束だから人には話してはならないと思うやら、本当に落ち着きません。しかし、よくあることで、秘密は、漏らしたくなるものらしいのです。
 おじいさんは、その晩、おばあさんに不思議な出来事を、すっかり話してしまいました。にょうひらめとの約束を守ることより、話してしまいたい思いに勝てなかったのです。
 にょうひらめの怒りに触れたのでしょうか、おじいさんは、それから床に伏して起き上がれなくなったそうです。
 今も、その山小屋のあったというところを「にょうひらめ」とも呼んでいます。

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仙人のみかん

 むかしむかし、木負(きしょう、今の沼津市)という村に、彦兵衛というおとこがすんでいてな、山に沢山のミカンを作って、暮らしていたのじゃ。
 毎年、山のミカンは、えりゃあ(非常に)沢山なっててなぁ、
「ことしゃあ、なりがわりいとかんぎゃあていたが、いい実が、うんとなって、ふんとう(本当に)よかったやあや。」
「おかげで、おらあの暮らしも、もっと楽になるぞ。」
などと話し合って、おたぎゃあ(お互いに)精を出していたのじゃ。
 ある年のこと。
 一本の木だけ、ミカンの実の一つもならにゃあのがあったのじゃ。
 彦兵衛は、いろいろとかんぎゃぁたけどな、その訳がわからにゃあので、
「いっそのこんだ、こんな木なら、根元から切り倒しちまべえか。」
と、家の者に言って、斧を持って出かけたのじゃ。
 彦兵衛はな、山に行って、このミカンの木の下に立って、またも、
「おかしいなぁ。この木だけ、実がならにゃぁというのは、どういうわけずら。」
とかんぎゃぁこんでいたが、ひょっと、木の根元に寝転んでしまったのじゃ、なにげなく上を見ると、
「あっ。」
と驚いたのも無理はにゃあ、ちょうど木の真ん中あたりの葉っぱの影に、ええかん(相当)、できゃぁミカンが、一つだけなっているのをめっきゃあ(見つけた)たのじゃ。
「不思議なことだなぁ。わしゃぁ、なんにもなっちゃぁにゃあと思っていたが、一つだけでもなっていたというなあ、うれしいこんだ。たった一つでもミカンはミカン。これをでゃあじ(大事)に育ててみるべえ。」
と、独り言を言いながら、彦兵衛は、明かりい顔で家へきゃあったのだ。
 それからは、毎日、仕事に精を出し、このミカンの実がでっかくなるのを楽しみにしていたじゃ。
 ところが、びっくりしたことにゃあ、彦兵衛が山に行くたんびに、このミカンの実は、どんどんと、でかくなっていくじゃあにゃあか。とうとう、ひとかかえもある大きさになってな、実が地面に着いてしまあくりゃあになっちまったのじゃ。
 そこで、彦兵衛は、
「もう、そろそろ、取ってもいい頃ずら。」
といって、なたで、この実を、切り取ろうとしたのじゃ。
 そのとき、
「まて、まて。」
とういう声がミカンの中から聞けえてきたじゃあにゃあか。びっくらした彦兵衛は、切り取るのをやめて、しばらく様子をうかがっているとな、
「パチン…。パチン…。」
という音や、なにやら人の話し声が聞けえてくるのに気付いたのじゃ。「不思議だなぁ。」と思った彦兵衛は、そっとミカンに穴を開けて中をのじいて(覗いて)みるとな、驚いたこのにゃあ、中では、やせた年寄りが二人、向かい合って碁を打っていたのじゃ。
彦兵衛は夢でも見ているような心持ちになってな、なおも中の様子をのじいていたのじゃ。どうやらこの勝負は、こっちを向いている年寄りが負けているとめえて(見えて)、しきりに頭をひねったり、うなったりしているのじゃ。
 やがて、頭を上げて、彦兵衛をめっけて(見つけて)、にこっと笑ったのでな、彦兵衛も、にこっと笑い返したのじゃ。彦兵衛はな、自分も碁が好きなところから、穴をもう少し広げて、その年寄りに、勝ち目のあることをおしえてやるとな、やがて、負けていた碁がもりきゃあしてきた(盛り返してきた)のじゃ。
 相手が急に強くなったので不思議に思ったもう一人の年寄りも、外で彦兵衛が立っているのに気がついてな、お互いに、顔を見合わせたかと思うと、
「ワッハッハッハッ。」
と、大笑いしたのじゃ。
 彦兵衛がな、あっけにとられていると、急に、背中を向けていた年寄りが、碁石を彦兵衛めがけて投げつけたのじゃ。はっと身を伏せた彦兵衛が、しばらくして、おっかなびっくりで顔を上げてみると、そこには二人の年寄りも、あのあの大きなミカンの実も、消えてしまっていたのじゃ。
 よく見ると、ミカンの種が、たくさん散らばっていたので、彦兵衛はな、この種を拾い集めて、この木の近くにまいたのじゃ。
 一年経って芽が出たかと思うと、三年目に花が咲いてな、大きな実が、いっぱいなったのじゃ。
 この実は、今までのミカンの実とは違って、てゃあへん(たいへん)あみゃあ(甘い)ので、「木負(きしょう)のミカン」でな、有名になったということだよなあ。

 

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代かき地蔵

 むかしむかし、ある村で百姓たちが田植えの準備をしていた。作兵衛さんも、立派に耕された田んぼを見渡して、「今日いちんちでオラんちの田んぼも代かきが終わりだ。」
と、喜んでいた。
「いいあんばいだのう。」
 作兵衛さんは、近所の人たちに挨拶しながら、狭いあぜ道を歩いていった。
 あぜに立った作兵衛さんは、ふと首をかしげた。
「おや、おかしいぞ。全く、不思議なこった。田んぼができている。こんなに代をかいておいたかな。ゆんべは遅くなって、そのまま帰っただに。」
 作兵衛さんは、自分の田んぼを不思議そうに眺めた。
 昼にもならないうちに代かきを終わって、女房にその話をしたのだが、女房は、
「あんたの代かきが早かったずら。」
と、取り合いもしなかった。
 こんなことがあって、いつか盆もすぎ、暑い夏も過ぎ、取り入れもすっかり終わったある日、作兵衛さんは近所の人たちに、思い出したように田植えのときの不思議な代かきのことを話した。すると、
「実は、俺んとこでも、」
と、みんなが次々に言い出した。よく聞いてみると、この不思議な代かきは、毎年繰り返されていたのだった。
 やがて、十年に一度のお祭りの日がやってきた。十年ぶりに開かれる小さなお堂は、きれいに飾り付けられ、着飾った村人たちで、境内はにぎわっていた。とつぜん、和尚さんのあっという声が聞こえた。声のする方をみると、お堂の中のお地蔵様の衣の裾が泥だらけだったのである。
「あれ、お地蔵様の衣が。」
「どうしたんだろうか。」
 驚いて、口々にいった。しばらくすると、みんなは、田植えどきに、誰かが人知れず代かきの手伝いをしてくれたのを思い出した。そうだ、お地蔵様がこっそりと、代かきを手伝ってくれたに違いないと、村人たちは話し合った。
 村人たちは、このときからこのお地蔵様を「代かき地蔵」と呼ぶようになった。

 

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だいだらぼっち

 むかしむかし、だいだらぼっちという、それはそれは大きな男が、住んでいたそうな。
 どれほど大きいかといえば。。。。あぐらをかくと、一里(やく4キロ)四方が、毛むくじゃらの足の下にめり込み、立つと、頭は雲の上に突き出て、顔もようわからんかったと。
 大男だったから、力はとてつもなくあったそうな。見上げるような大岩も、だいだらぼっちが親指と人差し指でひょういとつまむと、たちまちガラガラッと音を立てて、こなごなに崩れ落ちたということじゃ。
 それに、根は優しいが、負けん気が強くて、少しおっちょこちょいだったそうな。ある夕暮れ時、夕日を受けて七色に輝いている富士山を見て、
「なんだ。あの富士は。俺の住む秋葉山よりけっこくて(美しくて)、高いじゃないか。」
と、叫んだそうな。
「よし、富士よりけっこくて高い山を、一晩で仕上げるぞ。」
だいだらぼっちは、大急ぎで山からツタやカズラを取ってきて、土を運ぶ大きなぼっち(もっこ)を作った。一晩で仕上げよう、夜食用のにぎり飯を汚れた手で作り、腰にぶら下げて、近江(滋賀県)の土を運びに行った。
「だいだらぼっちは、力持ち。大きなぼっちで、山一つ。うんとこしょ、どっこいしょ。」
「だいだらぼっちは、力持ち。大きなぼっちで、山二つ。うんとこしょ、どっこいしょ。」
夜中じゅう大きなぼっちを担いで、近江まで行ったり来たりの土運びに、さすがの力自慢のだいだらぼっちも腹が減り、喉が渇いたそうな。
「ああ、疲れた。喉がからからだ。」
 ちょうど、引馬野の馬舟(浜松氏富塚町)あたりに、こんこんと清水の湧き出る泉があり、ちっちゃな湖を作っていた。その泉の周りには、天をつくようなクスの木や、根まわりが二尋(約3.6メートル)もあるような大杉が、十三本もそびえ立っていた。
「こりゃうまそうな水だ。」
 だいだらぼっちは、担いでいたぼっちを急いで側に置くと、遠州灘に両手を突っ込み、右手で大木を払い、左手を海岸近くについて、ぐっと身をかがめた。
 すると、どうだろう。だいだらぼっちの、体重のかかった左手が、ずずずずーっと砂浜にめり込み、人間の左手のような湖ができたと。それが浜名湖だそうな。
「さて、喉も潤った。飯にしよう。」
 にぎり飯を一口ぱくつくと、ガチッと小石が歯に当たった。ぷいと小石を吐き出すと、それが浜名湖に落ちて、小さな島になったと。それが、つぶて島だそうな。
 やがて、夜も明けて朝日が昇り、富士山はその光を受けて、ますます七色に輝いた。一方の秋葉山は、富士の影になって黒くなっていた。
「なんだ。こんなバカな話があるか。一晩中汗水かいて土もりした俺んちの秋葉山が、低いなんて。」
 言うが早いか、置いてあった片方のぼっちを、顔を真っ赤にして放り投げた。すると、こぼれた土が山になったと。それが、舘山寺の大草山だそうな。
 まだ、腹の虫が治まらないだいだらぼっちは、ついでにもう片方を、えいっ、と右足で蹴り上げた。ぼっちからこぼれた土の上で、
「このやろう。このやろう。」
と、地団駄ふんで悔しがった。あまりに続けたものだから、広い広い原っぱになってしまったと。
 それが、三方原台地だそうな。
 ほれ、みんなも聞いたことがあるじゃろう。だいだらぼっちが、土運びのときに、ぼっちから落ちた土が山になった話。足跡がへこんで、田んぼになった話。そんなところを、ほれ「ぼっこ山」とか「ぼっこ田(でん)」と言ったとさ。

 

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海が塩辛いわけ

 昔、遠州灘の海岸に、小屋を建てて住んでいる若い兄弟がおったそうな。兄と弟は、ずいぶん気だてが違っていて、兄は欲張りで、弟はとても優しく親切であったそうな。いつも、兄は、わがままを言っては弟を困らせていたが、弟はそれにも怒らず、ずいぶん兄に尽くしていたそうな。それで、兄弟の生活は、貧乏でも幸せであったそうな。
 ある冬の日、旅のおぼうさまが一夜の宿を借りに、兄弟の小屋を訪ねたそうな。
「お頼みします。一夜の宿をお頼みします。」
 戸を開けてみると、なんともぶしょったい(汚らしい)おぼう様なので、兄は、
「これは、せっかく泊めてやっても、お礼ももらえまい。」
と思って、
「よう見ておくれ。わしらの家は、貧乏で食う物もない。どこか他を探してくりょう。」
と、あっさり断ってしまったそうな。
 おぼうさまは、仕方なく、夜道をとぼとぼ歩いて行ったそうな。
 弟は、小屋の中で兄の言葉を聞いていたが、おぼうさまがかわいそうになり、そっと小屋を抜け出したそうな。
「おうい。ぼうさまぁ。」
 しょんぼりと歩いているおぼうさまを呼び止め、
「この寒い夜、泊まるところがなければ難儀じゃろう。もう少し行くと観音堂があるさかい、そこに泊まりなされ。」
と、親切に案内してあげたそうな。そして、
「腹も減っているじゃろう。このお芋さんで、一晩しのぎなされ。」
と、自分の晩ご飯にとっておいた焼き芋を、そっと懐から取り出して、おぼうさまにわたしたそうな。
 弟の親切に、おぼうさまは涙を流しながら、なんべんもお礼を言ったそうな。
 幾日が過ぎた夜。またそのときのおぼうさまが訪ねてきたそうな。
「先だっては、どうもお世話になりました。おかげさまで、無事に旅を続けることができました。これは、お礼の印です。」
と言って、金のつちを弟に渡したそうな。おぼうさまは、
「この金の槌は、欲しいものの名前を三回唱えると、何でも出てくる不思議な槌です。どうぞお役立てください。」
と言って、暗闇の中に消えてしまったそうな。
 それを聞いた兄は、自分も金の槌が欲しくなってきたそうな。
 弟は、たいそう喜んで、早速試してみたそうな。
「米でよ。米でよ。米でよ。」
と、三回唱えたら、米がざくざく出てきた。
「これはありがたいわい。兄もきっと喜ぶじゃろう。」
 二人で一年暮らすのに、充分過ぎるくらいの米を出すと、弟は、金の槌を大事にしまっておいたそうな。
 その様子を陰で見ていた兄は、ますます金の槌を、欲しくてたまらなくなったそうな。
 次の夜、兄は、弟が寝入ったのを確かめてから、そうっと金の槌を持ち出したそうな。
「しめしめ。これさえあれば。」
 小屋を出ると、海辺に用意してあった小舟に飛び乗り、どんどん、沖へ漕ぎだして行ったそうな。遠くの山もかすみ、岸も見えないほど沖に出た頃、
「もう大丈夫じゃろう。これで金の槌は俺一人のもんじゃ。」
と言って、一休みしたそうな。兄は、疲れ果てていたので、塩がなめたくなったそうな。
「やれやれ、疲れた。どれ、塩でも出すべぇ。」
「塩でよ。塩でよ。塩でよ。」
と、三回唱えたら、塩がぞくぞく出てきたそうな。
 出るわ、出るわ。どうしたって止まらない。兄は、止め方を知らなかったもんだから、びっくらして、金の槌の上に、おっかぶさったそうな。それでも、出るわ、出るわ。そこらじゅう塩だらけ。
 もう、船からこぼれんばかりに、いっぱいになったそうな。そのうち船は兄を乗せたまま沈んでしまったそうな。
 それで、海の水は塩辛いんだと。

 

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海坊主と波の音

 遠州灘の波の音には、こんな話があるだよ。
 むかーしのことじゃった。
 漁師たちは、船に網を乗せながら、
「おーい、じいさん。今日の天気きゃーどうずらか。」
と、若い漁師が聞いただと。
「雲行が悪いのう。」
と、年寄りの漁師はひげ面をかきながら答えたそうな。
「雨にならなきゃえいがなぁ。」
「うーん。そうだなぁ。」
と話しながら、てんでに船を漕ぎだしただと。
 漁師たちは、沖に網を張って、何どきかたって網をあげたが、数は数えるほどしか入ってなんだ。
 二度目も同じだったそうな。
「今日は、魚が捕れん、だめだ!」
と、漁師たちは嘆いただ。
 そして、早めに漁を切り上げようとして、終わりの網を揚げたときだったそうな。その網の中に見たこともないものが入っていただと。
 それは、身の丈が一丈(約3メートル)もあり、ぎょろぎょろとした大きな目玉と鼻があって、人間ともいえない、蛸とも魚ともいえない、真っ黒なものだったそうな。
 漁師たちは、この奇妙なものにうったまげて(驚いて)、殺そうとしたそうな。
 すると、その化け物は泣きながら、
「わたしは海坊主でございます。どうぞ、命ばかりはお助けください。そのかわりにお礼として、あなたがたの仕事で、一番心配な雨と風と、海の荒れることを、波の音でお知らせいたします。」
と、一生懸命に頼んだんだと。
 漁師たちは、
「どうやって知らせてよこすんだ。」
と、海坊主に聞いたら、海坊主は、海の方を指差しながら、
「この遠州灘の波の音が西に聞こえるときは、明日は晴れになります。東の方で聞こえるときは、雨になります。それに、ずっと東へよってものすごい音が聞こえるときは、海は大しけになります。きっとお約束は守ります。」
と、言ったそうだ。海坊主の目には涙がいっぱいだったそうだ。
 これを聞いた漁師たちは、海坊主をかわいそうに思って海に返してやったそうな。
 それからあと、漁師たちは、漁に出る前にゃあ必ず波の音を聞いてから出るようになったそうな。
 海鳴りのするところは、この遠州灘しかあないだよ。
 今でも、遠州地方では、この波の音を天気予報としているだよ。 

 

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下田富士と駿河富士

 伊豆の下田に、こぢんまりと形の整った山があり、人々は、この山を下田富士と呼んでいます。
 もとはと言えば、下田富士と駿河富士は仲の良い姉妹でした。ところが、雪で化粧して、人目を引く妹の駿河富士を、
「綺麗じゃ、綺麗じゃ、日本一の器量よしじゃ。」
と、人々が褒めてばかりいるので、姉の下田富士は、次第に妹の駿河富士がねたましくなり、寂しく思うのでした。
 妹の駿河富士は、人々に褒められて、ますます誇らしく化粧し、つんとすまして空に向かってたっていました。そんな妹を、姉の下田富士は、だんだん避けるようになりました。けれども、そんな姉の気持ちを知らない妹の駿河富士は、気だてのよい下田富士を、
「あねさん、あねさん。」
と、慕っていました。
 そのうち姉の下田富士は、妹の駿河富士の姿を見ないで暮らしたいと思うようになって、ある日、二人の間に天城山という高いびょうぶをたてて遮ってしまいました。
 恋しい姉の下田富士の姿を見られなくなった妹の駿河富士は、毎日のように背伸びをしていました。それで、日増しに背が伸びて、日本一の高い山になってしまいました。
 姉の下田富士は、妹の駿河富士に見られまい見られまいと身を縮めていましたので、とうとう小さな山になってしまいました。

 今でも、下田富士の近くで駿河富士を褒めると、風の音に混じって、悲しい下田富士の泣き声が聞こえると言われます。

 

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オオカミより、もろぞうがおそろしい

 昔、ある所に、とても貧乏なおじいさんと、おばあさんが住んでいました。
 ある、雨のショボショボふる寂しい晩のことです。囲炉裏の側で二人は話していました。
「おばあや。お前はな、この世の中で、いっとうおっかないもんは、何だや。」
「おじいさ、そりゃあ、オオカミだに。あのー、オオカミがの、歯をくっさらいて(むき出して)、がんぶり(がぶっと)、くっつきゃあの、手も足も取れちまうでのう。オオカミゃあ、子供ささらっていくっちゅうし、こんなおっかないもんなぁ、ないのう。」
「ふーん、おばあは、オオカミか。そりゃあ俺だって、オオカミはおっかないが、俺にゃあ、まっと、おっかねぇもんがあるだぞ。」
「そりゃあ、なんだえ。」
「俺の、いっとう、おっかねぇもんは、もろぞう(雨漏り)だに。もろぞうに出られりゃあ、この家に入っていれんでのう。今夜も何だか、もろぞうが出てきそうで、おりゃあ、気持ちが悪いだぁ。」
このとき、雨戸の外まで来て、家の中を覗き込んでいるオオカミがいました。ふと、耳を立てて聞いてみると、何だか、自分のことを言っているようです。聞いていると、おじいさんが、「オオカミよりもろぞうが恐ろしい。」それに、「今夜も、もろぞうが出てきそうだ。」と話しています。
 それを聞いたオオカミは、すっかり驚いてしまいました。俺より強いものはないと思っていたのに、もっと強いものがいる。爺様の言うもろぞうは、よっぽど強い、怖いものに違いない。今のうちに早く逃げなければと、急いで自分の穴の方へ逃げ出していきました。
 ちょうどこのときです。おじいさんの家に、ついこのあいだ産まれたばかりの子馬がいるのを盗みにきた、馬泥棒がありました。泥棒はオオカミが夢中になって走り出したのを見て、これは、子馬が逃げたに違いないと思い、逃がしてたまるものかと、後ろからしがみつきました。
 さあ、驚いたのはオオカミです。
「こりゃたまらん。もろぞうに捕まっちまった。」
 必死で振り放そうとしたが、馬泥棒にも、にがさすかと、しがみついているので離れません。
 オオカミは、全身の力を振り絞って、何回も何回も体を揺すったが、どうしても離れません。大きな、ほら穴のそばまで来たとき、やっと振り落とすことが出来ました。振り落とされた馬泥棒は、落ちた拍子に、ほら穴の中へ、転がり込んでしまいました。
 この様子を、一匹のサルが木の上で見ていました。
「オオカミの奴、あのほら穴の中へ何か落としていきゃがったな。ええものだかもしれんぞ。ちょっくら行って、見て来っか。」
と急いで木から下りて中を覗いてみましたが、よくわかりません。そこで、長いしっぽを穴の中に入れて、あっちこっち、かき回して、探してみました。
 暗い穴の中へ転がり込んだ馬泥棒は、出ることもできず、穴の中を、あっちへ行ったり、こっちへ来たりして、手探りで、外へ出られそうなところを、探していました。
 そこへ、サルのしっぽがおりてきたのです。こりゃきっと誰か、綱を下ろしてくれたのだろうと思って、しっぽをぎゅうっと、つかみました。
 さあ、驚いたのサルです。いきない、しっぽをぎゅうっと引っ張られたのですから。急いで、しっぽを引き上げようとしたのですが、穴から出たい一心の下の男が、離すはずがありません。しっぽを上と下とで引っ張って、あんまり力を入れすぎたので、とうとう、サルのしっぽは、根っこの所から取れてしまいました。
 それで、サルのお尻は、今でも、赤いのだそうです。そのうえ、あんまり力んで力を入れたので、あんなに赤い顔になったということです。

 

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しっぺい太郎

 むかしむかしのことなんだと
 ある年のこと、ひとりの旅のおぼうさんが見付けたっちゅう村(磐田市見付)を通りかかったんだと。村ん中までくると、いっけんの家からすすり泣きが聞こえてきたんだと。
 ぼうさんは、どうしたんだろうと思って、そっと家の中をのぞいてみると、きれいなむすめさんをかかえあうようにして、みんなが泣き崩れているんだと。ぼうさんは不思議に思って、通りがかりの人に訳を聞いてみると、毎年、天神様のお祭りの前になると、どっからか決まって白羽の矢が飛んできて、きれいな娘のいる家の屋根に突き刺さっているんだと。その家の娘は、お祭りの夜に、白木の棺に入れられて、天神様に人身御供として差し出されてしまうんだと。差し出されないと、村じゅうの田畑がめちゃくちゃに荒らされてしまうんだと。
 それを聞いたお坊さんは、こんな惨い事をする神様はいねぇと思ったんだと。
 祭りの日がやってきたんだと。坊さんは、暗くなるのを待って、一人で天神様の森の中に隠れていたんだと。
 しばらくすると、見附の衆が白木の棺を担いでやってきたんだと。村の衆は、その棺をお宮の前に置くと、みんな転げるようにして、逃げ帰ってしまったんだと。
 お坊さんは、耳を澄ませて、体をじっと固くして棺を見ていたんだと。
 真夜中になると、森の奥の方から、人の声とも、獣の叫び声ともつかねぇ、恐ろしげな声が聞こえてきたんだと。お坊さんは恐ろしくなって、ぶるぶる震えてしまったんだと。そいでもじっとしていたんだと。
 そのうちに、ドシッドシッと大きな音を立てて、今までに見た事もねえようなでっけえ化け物どもが現れたんだと。
 化け物どもは、棺の周りを取り囲むようにして、でっけえ声で歌いだしたんだと。
  こよいおらっちの このことは
  信州信濃の光前寺
  しっぺい太郎にゃ 知らすなよ
化け物どもは、踊り続けたんだと。
  こよいおらっちの このことは
  信州信濃の光前寺
  しっぺい太郎にゃ 知らすなよ
 化け物どもは、ひとしきり踊り終わると、白木の棺の蓋をバリバリッと壊し始めたんだと。そして、気を失った娘を担ぎ上げると、またドシッドシッと大きな音をたてて、森の中へ消えて行ってしまったんだと。
 坊さんは、おっそろしくておっそろしくて、またぶるぶる震えていたんだと。震えながらも、
「信州信濃のしっぺい太郎。」
という言葉だけは、おぼえていたんだと。
 やっと夜が明けたんだと。坊さんは、化け物どもが歌っとった、信州信濃のしっぺい太郎を探しに、信州(長野)へ出かけていったんだと。けども、なかなか見つからないんだと。あっちこっち、もうへとへとになるまで、何十日も何ヶ月も探しまわったんだと。
 もうすぐ、お祭りの日が来るというある日、駒ヶ岳のふともの光前寺というお寺でしっぺい太郎を探し当てたんだと。
 ところが、しっぺい太郎っちゅうのは人間じゃなくて犬だったんだとよ。そりゃあ、なんと言っていいだかわからねぇが、馬みてえ大きな、見るからに強そうな犬なんだと。
 お坊さんは、光前寺の和尚さんに訳を話して、
「どうぞ、しっぺい太郎をお貸し下され。」
と、頭を地に付けて頼んだんだと。和尚さんは側にじっと座っているしっぺい太郎に、
「聞いての通りじゃ、見付の人たちのために行ってくれるな。」
と言うと、しっぺい太郎は、
「ウウーッ。」
と、強くうなったんだと。
 お坊さんは、しっぺい太郎を連れて、見附目指して急いだんだと。
 そして、やっとお祭りの日に間に合ったんだと。坊さんは、村の衆に訳を話して、娘さんの代わりに、白木の棺の中にしっぺい太郎を入れたんだと。
 棺は、村の衆に担がれて、天神様のお宮に運ばれたんだと。村の衆は、棺を置くと、逃げるように帰ってしまって、坊さんは、去年と同じように、お宮の中に隠れて見ていたんだと。
 やがて真夜中になると、ドシッドシッと大きな音を立てて化け物が現れて、それからやっぱり歌い踊り始めたんだと。
  こよいおらっちの このことは
  信州信濃の光前寺
  しっぺい太郎にゃ 知らすなよ
 踊り疲れると、化け物どもは、
「しっぺい太郎はおらぬな。」
「しっぺい太郎はおらぬな。」
と言いながら、白木の棺の蓋をバリバリッとはぎ取ったんだと。
 すると、そのとたんに、「ウウーッ。」ちゅう声とともにしっぺい太郎がおどり出て、化け物の中に飛び込んでいったんだと。
 そりゃあ、言葉にゃあ言えんくらいの、長い、凄まじい戦いじゃった。
 明け方近くなって、話を聞いた見附の衆が、おっかなびっくり集まってきたんだと。
 見ると、お宮の境内には、見るも恐ろしい、でっかいヒヒどもが血だらけになって倒れていたんだと。しっぺい太郎も、ヒヒの血を浴びて、息も絶え絶えになって倒れていたんだと。
 お坊さんと見附の衆は、しっぺい太郎を厚く手当てしたと。何日かたち、やっと歩けるようになると、しっぺい太郎は、村の衆の知らない間に光前寺に帰っていったんだと。歩けるようになったと言っても、まだじゅうぶんじゃねぇ。しっぺい太郎は痛む体を引きずりながら、山を越え川を渡って、やっとのことで観音山の頂上までやってきたと。けれども、しっぺい太郎は、もう一歩も歩けず大きなイチョウの木の下に横たわると、そのまま息を引き取ってしまったんだと。
 その後、しっぺい太郎は、お坊さんや見附の人たちの手で、観音山の大イチョウのところに、手厚く葬られたそうな。

 

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昭和21年創業 浜松市中区千歳町 1日6組限定、座敷個室 / 雉料理、鳥の味噌すきやき専門店「雉、鳥すき 鳥浜」